「医師」をめざした理由
こんにちは、トラベルドクターの伊藤玲哉です。
今回は、私が “医師をめざした理由”についてお話ししたいと思います。
私は、1989年2月に栃木県日光市で生まれ、東京都大田区で育ちました。
自分の部屋から羽田空港が見えたため、幼少期からよく飛行機を眺めながら過ごしていました。
私が医師をめざした理由は“3つ”あります。
理由①:「気管支喘息」の経験
小さい頃は、とにかく身体が病弱でした。
喘息発作をしばしば発症し、入院したこともあります。
呼吸困難を経験した人にしか、この苦しみは理解しにくいかと思いますが、
夜中に発作が起こると、「このまま死んでしまうのではないか」という恐怖に襲われます。
最近は発作は起きにくくなりましたが、喘息があったことで、人の「苦しみ」を知る貴重な経験となったと考えています。
理由②:「父親」の存在
父は、地元にある診療所で町医者をしています。
子供のころは夜間に喘息発作が起きると、父親のいる寝室へ向かいました。
“ヒューヒュー”と喘鳴しながら父親を起こすと、
眠たそうな目をこすりながら一緒に診察室へ行き、吸入器を準備してくれます。
そして、そっと吸入器を口元にあて、発作が落ち着くまでずっと寄り添ってくれました。
吸入器から出る蒸気を吸入しているうちに、徐々に発作が落ち着いてきます。
息の苦しさから解放されると同時に、父親の存在に“安心感”を感じていました。
そして、人の苦しみを和らげることができる「医療の力」を身をもって経験したことで、自分も同じように苦しみを抱えている人の力になりたいと考えるようになりました。
理由③:「母親の死」
最後の理由は、“母親の死”です。
私は5歳のときに、母を亡くしました。当時は幼かったため、母親の記憶はほとんどありません。
母の記憶は、たった3つ。
・かくれんぼして笑っている姿
・玄関で泣いている姿
そして、
・柩の中で、永遠の眠りについている姿です。
火葬場で最後の別れをする際、親族から「これが最後だから、ちゃんと見ておくんだよ」と言われたのを覚えています。
当時はまだ幼く、その言葉の意味を理解できませんでしたが、それから何日待っても母親が家に帰ってこないという事実から、小さいながら母の「死」を感じ取りました。
当たり前だった存在が、ある日突然いなくなる。
その“寂しさ”をわずか3歳で経験したことは、今の自分に大きな影響を与えていると思います。
これらが、私が「医師」をめざした理由です。
これらの経験が1つでもなかったら、医師という道は選ばなかったと思います。
すべての経験に感謝していきたいです。
余談ですが、医師以外になりたかった職業もあります。
それは「ブライダルプランナー」です。笑
結婚式は人生において、ヒトが最も輝くことのできる日だと思います。
人生最高の1日を、自身の考えたプランでさらに輝かすことができる点に魅力を感じました。
今でもとても素晴らしい仕事だと考えています。
“医学部”か“ブライダル”か…
判断の決め手は「Δ(デルタ)」でした。
仮に“幸せの係数”と考えてみると、
結婚式の日は「100%」幸せな瞬間です。
それを自分が関わることで「120%」の幸せにすることができれば、「+20%」分だけ自分の誇りになります。
では、「医師」の場合はどうでしょうか?
病院を訪れる人の中には、病気により絶望のどん底にいる人が大勢いらっしゃいます。
癌の診断を受けた人、後遺症が残ってしまった人、余命を宣告された人など…
その人を仮に「-100%」の状態だとします。
もし医師として苦痛を和らげることができ、日常を取り戻すことができれば「±0」の状態にできます。
その時点でΔは、すでに「100」になります。
医療には大きな力があります。
さらに言えば、
もし、自分が関わることで、患者さんが「病気があっても、今が一番しあわせだ!」と感じることができたとしたら、
つまり「-100%」から「+100%」の状態にすることができるとしたら、
Δ(デルタ)は「200%」になる可能性を秘めていることになるのです。
ブライダルの「20%」と、医師の「200%」
これが、“医師”を志した決め手となりました。
「病気を抱えていても旅行を叶えたい」という現在の考え方にも繋がります。
病気との戦いの中で、たとえ絶望のどん底にいたとしても、
“旅行”という体験を通じて、「大変なこともあったけど、今が一番しあわせだ」と感じることができれば、
医師という職業は、この世で最も価値のある仕事だと信じています。
かつて喘息で苦しむ私に寄り添ってくれた父親のように、自分自身も病気で苦しんでいる人に対して、自分の“めざすべき医療のカタチ”を届けられるようになりたい。
改めて、“医師”という職業に就けていることに感謝をします。
ちなみに、
トップの画像は、私が医師になって初めて担当した患者さんです。
退院日の「先生、ありがとう」という言葉は、今でも私の宝物です。
今を生きるあなたへ
伊藤 玲哉