こんにちは。
トラベルドクターの伊藤玲哉です。
大会では東京都知事を前に緊張してしまったため、この場で改めて言葉させていただきます。(※長文です)
思えば5年前、自分がめざす医療のカタチを「旅行×医療」と定めた日から、人生設計を大きく見直しました。
診療所の4代目として生まれ、15年かけて医師という仕事に就いたのにも関わらず、なぜ自分は医療現場を離れているのだろう。
そんな自問もありました。
しかし、今の医療には違和感を感じずにはいられませんでした。
1番の疑問は、「誰のための医療?」という問いでした。
もちろん、医療現場で働いている人は、医療者としても人間としても素晴らしい方達ばかりです。
自身の健康を犠牲にしてまで、患者さんの命を守っています。
にも関わらず、なぜ患者さんは笑顔ではないのだろう?そしてなぜ、ご家族の表情はどこか悲しげなんだろう?
例えば「身体抑制」を学生時代に初めて目にしたときは衝撃的でした。
なぜ患者さんがベルトでベッドに固定され、手足を縛られているんだろう?
なぜ無理やり鎮静薬で眠らされているんだろう?
この人が何か悪いことでもしたのだろうか?
困惑する患者さんやご家族たち。
相反するように、当たり前のように業務を続ける医療従事者。
「ベッドから落ちないように。」
「点滴を抜かないように。」
「夜に騒がないように。」
この医療行為は「誰のため?」と尋ねると誰もがこう言います。
「患者さんのため」と
しかし、口ではそう言っていても、
実際には患者さんが転んだり、点滴を抜いてしまうことで、
数時間かけてインシデントを書く「看護師のため」だったり、
深夜に何度も電話がかかってきて、対応を迫られる「医師のため」だったり、
リスク管理を徹底するあまり、過度な対応にならざるを得ない「病院のため」だったり、
治療や検査することで利益を得る「企業のため」だったり、
頭のどこかで考える矛盾を「患者さんのため」という言葉で正当化していないだろうか?
何より自分自身が、そういう医療をしてしまっているのではないか?そう感じずにはいられませんでした。
もちろん治療のために患者さんのプラスとなるのであれば、医療のプロとして対応をする必要はあると思います。
でも、医療は完璧ではない。医師は神様ではない。
どんなに医療が発展したとしても、人間はいつか必ず最期を迎えます。
そうであれば、せめて治すことができない病気で、残りが短くなりつつある人に対しては、「誰かのため」ではなく、心から「患者さんのため」に医療を届けたい。
歩きたい人がいたら歩いてほしいし、ご飯を食べたければ食べてほしい。
そして、旅行に行きたいのであれば旅行へ行ってほしい。
自身に責任が降りかからないように、「患者さんのため」という言葉で否定しないでほしい。
とはいえ、今の医療現場の過酷さも、医療者として痛感しています。
自分も現場に居続けたら、きっと同じ選択をするでしょう。
でもそれは、自分が医師を目指したときの医療ではない。その医療ができないのならば、医師をやめよう。
そして、「自分にしかできない医療」を目指す。
でもきっと、すぐにはできないから、医療の最前線を離れて、医療以外のさまざまな視点から医療を眺めてみよう。
私のその答えが、『旅行医』です。
余命宣告を受けた人は、目の前が「真っ暗」になります。
描いてきた人生像が、音を立てて崩れていくように。
出来ていたことができなくなり、自分が自分でなくなっていく。トイレに行く、お風呂に入るといった人間としての尊厳に関わるところまで、一人では出来なくなります。
目の前が真っ暗になると、人は後ろばかりを見るようになります。
つまりは過去の自分。未来には希望がない。たとえ心臓は動いていても、心は生きていますか?
人生をドラマに例えるなら、8話で放送打切り。ハッピーエンド、バッドエンドではなく、完結すらできない。
でも、そんな状況でも、やりたいことはあるはず。叶えたい願いがあるはず。
すなわち、「旅行がしたい」と。
もしその願いを叶えられると思えたなら、真っ暗だった目の前の世界に、新たな「目標」ができます。
過去ばかりを見るのではなく、その目標に向かって、再び「前」を向いて歩き出すことができます。
つまり、『今を生きる』ことができます!
最期の瞬間まで、その人が叶えたいことを応援していく。今、この瞬間を生きてもらいたいから。
それが私が「旅行」を叶えたい理由です。
旅行を通じて、家族も前を向いて話すことができるでしょう。
旅行の計画を立てながら、昔話を懐かしむ。思い出の場所から、今まで知らなかったエピソードを知る。
その過程で、家族の絆はより強くなる。
生きる目標がある人は、目を見ればわかります。体力は落ちていても、目は力強く輝いています。
何より、誰もが「笑顔」です。
医療という力を、1秒でも長く生きるために使う。
それだけが本当に選択肢でしょうか?
死ぬことを「負け」とする医療では、医療は最後に必ず負けます。
でも、病気とともに生き、最期の瞬間まで自分らしく生きる。
そして旅行を叶えることで、「いい人生だった!」と心から感じることができれば、その人は決して病気には負けません。
これが医療が「病気に勝つ」ための方法です。
だから、病気を理由に旅行を諦めている人がいたら、「大丈夫、行けますよ」と、背中を押せる医療者でありたい。
だから毎回言いつづけます。自分のことを必要としてくれる人に向けて。
今この瞬間にも、病室のベッドで過ごし、前を向けずに悩んでいる多くの人のために。
自分の声がちゃんと届くように。
「今を生きる、あなたへ」と。
少し熱くなってしまいました。大会直後なのでご了承ください。
長文になってしまい、申し訳ありません。
ちなみに副賞の『賞金100万円』の使い方は、応募時から決めていた『家族旅行』に使います。
理由は、一度も親孝行できないままお別れをする家族を、たくさん診てきたからです。
救命救急で勤務している時、必死に心肺蘇生をしている横で、家族が意識のないご本人に泣きながら言う言葉。
「まだ何にも親孝行していないよ…」
この言葉は医療者にとってかなり応えます。
親はまだまだ元気ですが、今までは医療ばかりで親孝行できてませんでした。
これからの新しい医療のカタチを、まずは自分自身が示すためにも、まずは自分の家族に「旅行」をプレゼントしたいと思います!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
#今を生きるあなたへ